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感想:お金のいらない国(長島龍人)

※ネタバレあるかも知れませんのでご注意を

 

70pにも満たないのに、990円した『お金のいらない国』という本。
しかし、その内容は現代社会について深く振り替えざるを得ないような、難しい話でした。

初版は2003年に発行なので、知っている方も多いのではないでしょうか。

私がこの本に出会ったのは(というか知ったのは)最近のことです。
会社からのメールで知りました。
どんなメールの内容だったのかは流し読みでしたのであまり覚えていませんが、
著者の方の落語だったか、何らかの講演があるから観に来てね的なものだったと思います。

読んでみようと思ったのは、
昨今のお金のこと、
僕が大学生の頃に『C』というアニメを観たこと、
小学生の頃に親に「平和な世界なら警察官なんていらないのだから、本来なら警察官なんていない方がいいのにね」なんてしゃらくさい事を言った子供だったからというのが理由でないかと思います。

さて、うざったい前書きもそこそこにして。

​お金のいらない国



雰囲気は『キノの旅時雨沢恵一)』に少し似ています。
キノの旅に出てくる様々な国ほど極端ではありませんが、
世界観は純粋に『もしもこの世界からお金がなくなったらどうなるのだろうか?』を書いたものです。

それはとても不思議で、
お金というものに慣れ親しんだ主人公(すなわち私達)にとっては
漠然とした不安のある優しい世界でした。


物語の開始は、主人公が唐突に見知らぬ街にいつの間にか来ていたところから始まります。
文章を引用するにはちょっと長いので、軽く私の方で変えましたが概ね、以下のような始まり方をします。

 

ビルが立ち並び、車が行き交う景色。
一見すると、知っている街のようでありますが、行き交う人々は様々な人種でした。 
アメリカのどこかの都市かな?
なんて考えていると、品のいい一人の紳士が話しかけてきました。
「ようこそ。お待ちしておりました」
はて。紳士の顔に見覚えもなければ、待ち合わせしていた記憶もない。
当惑する私にお構いなく、街を案内し始める紳士。
案内を受けながら私は尋ねます。
あなたは誰なのか、ここはどこなのか。
対し、紳士は意地の悪い答えを返すじゃありませんか。
「いずれお分かりになると思いますよ」


ここはどこで、紳士はいったいどのような人なのか。
それこそが、作者の言いたいことなのでしょう。​

 

 

 

​​​​仕事はお金か……?​​

​よく出される対比として、社会主義と資本主義がありますね。

皆さん御存知の通りですが簡単に言うと
社会主義は社会全体を重んじるシステムであり、国民一人一人が平等であるべきという考えです。
どれだけ少ない労働であろうと、国民は一律のお金を給付されます。
弱者というものがいない、優しい思想とも言えるでしょう。
反面、またどれだけ多い労働をしようと、給付されるお金の額は少なく労働した者と同じなので、何らかの才能に秀でた人には何の得もありません。

資本主義は経済活動を重んじるシステムであり、営利目的による物の生産、サービスによって社会を回すという考えです。
労働価値に見合った報酬を受け取れるため、努力すればするほどお金が貯まります。
一人一人が様々な物やサービスの商品化をしていけば、社会全体が豊かになっていきます。
反面、営利目的であることが第一となりやすくので環境破壊や、資産がないと生きていけないため犯罪が生じやすい。

結果だけを見ると、歴史が証明したように資本主義が優れていました。
社会主義の代表、ソ連
1991年12月26日にソビエト連邦共産党が解散したことで、社会主義は完全崩壊します。
まあ、ソ連の場合、役人たちによる金銭の着服が結構遭ったようなので完全な社会主義とは言えませんが。

しかしながら、今日になって資本主義を振り返ってみるとどうでしょう?
確かに社会主義よりも資本主義は優れていることは間違いありませんが、
様々な弊害、歪み、軋轢があることも事実。

特にひどい弊害は少子化です。
日本が先導するかのように、先進国の出生率は軒並み年々下がり、出生率2.0を下回っている国ばかりです。
出生率は夫婦1組が産む子供の数の全国平均であり、2.0を下回るということは子供を2人以上を産んでいる夫婦は平均に届かないことを意味しています。
ヒトは有性生殖である以上、夫婦一組で2人以上が産まれなかれば自然と減っていきます。

もちろん、人口が多ければ多いほどいいのかと言われれば、それも弊害が生じますし、
生命倫理を無視した科学技術を用いれば、もはや人口動態を制御可能な域に手が届くのも事実です。

少し脱線しましたが、資本主義も特化しすぎれば少子化が生じ、ひいては国家存亡の危機に立つ局面がいずれくるということ。

では、なぜ少子化が起こるのか。
これはやはり弱者に対しての救済が小さすぎる、あるいは的外れというのが原因でしょう。

……って、やばいな、こんなことを書きたかったわけではないんですよ。

閑話休題

僕がこの記事で一番書きたかったことは、
要するに社会主義だろうと、資本主義だろうと、弊害となる中心にはお金があるということを言いたかったんです。

現代社会において、お金がなくては生活できません。
経済を回さなくては大勢の人が亡くなります。

しかし、この社会システムは”力の持つものが一番偉い”という内容であり、
概して中高生の不良グループと大差ないのでは?

”力”といのが資本主義では”お金”で、不良グループでは”喧嘩”。
むしろ、一度グループに入ったものなら下っ端だろうと守ろうとする不良グループの方がまだ弱者に優しい気もします。

まあ、不良グループに入ったことなどないので想像になりますが。



では、お金というものがなくなったらどうなるのか?
あぁ、ようやく本筋に入れる……。

社会主義同様に、誰も働かなくなる?
誰も仕事をしなくなるでしょうか?

社会を維持するのに最重要項目は子供を育てることです。
子供がいなくなれば間違いなくその国は滅びます。

というか、人類が滅びますね。

では仮に、僕に子供がいたとして、誰も仕事をしない国でどうやって育てるか?
子供が赤ん坊であれば母乳でしばらくは持ちますが、
母乳を出すためにも母親には栄養を摂ってもらわなくてはなりません。

栄養を得るためには食べ物が必要です。
しかし、誰も仕事をしないのであれば米や野菜は作られません。

となれば、魚や鳥、獣の狩りとなるでしょう。山菜も一つの手でしょうが、毒の有無を見分けられなければリスキーにもほどがあります。
しかし、魚も鳥も獣も、人間が狩りを行おうとすると道具が必要です。
すなわち刃物、縄などですね。

しかし包丁はもちろん、縄一本に至るまで誰かが作っていなければ自分で作るしかないわけです。

とまあ、ここまで書けばいい加減、言いたいことが見えてくるでしょうが。
はっきり言って1人や2人で、そんなことを年単位続けるのは不可能です。

つまり、誰も仕事をしない国では子供など育てられるわけがなく、いずれは滅びます。

では、報酬のない仕事なんて誰がするのか?
これはやはり前提が間違った考え方でしょう。

仕事とは社会を回すためのものであり、報酬を得るためのものではない。
社会貢献、社会奉仕の理念があってこその仕事。

よくある軽いセリフかもしれませんが、人は社会を形成しなければならない生物である以上、誰からかの世話なしでは生きていけません。

そのため、わざわざ社会奉仕の貢献度をお金という形にせずとも、社会貢献を行えばその社会におけるサービスを受けられる。
これが報酬にあたるわけですね。

実際、僕たちもお金そのものが必要というより、物であったりサービスであったりが本来の必要なものであり、お金自体を必要としているわけではありません。

よく言われる質問で”無人島に1つだけ持っていけるとしたら何を持っていくか”というのがありますが、それでお金を選ぶ人はいないでしょう。

無人島で札束でできることといえば尻を拭くことくらいです。


お金のいらない国では、皆が皆その理念に従って適度に働くことで非常に調和の取れた、無駄なロスのない社会活動を行っていました。

掃除をしたり、飲食店の店員であったり、生活用を作る人もいれば、それを周知する広報する広告店もあります。

​僕たちの世界との違いは、お金を管理や運営する銀行がなかったり、物に値段がなかったりと、お金にまつわる仕事がないこと。

 

 

お金はなぜ存在するのか?​

​僕たちにとってお金は生活に直結するので、生きるためにお金が必要となりますが、ここは一度、僕たちにとってのお金の必要性ではなく、お金そのものに注視します。

お金そのものは紙幣といえば聞こえはいいですが紙でしかなく、同じく硬貨は金属片でしかありません。

では、紙と金属でしかないお金の持つ役割とは?
突き詰めれば、物やサービスといった商品に対する価値の物差しでしかないわけです。

しかし、それはお金のほんの一面でしかありません。

”お金がなくては人々は欲望をコントロールできない”
これは作中で私が衝撃というか、強く印象を受けた台詞です。

頭の中で検証していくと確かにそうかもしれないと納得しました。

暴飲暴食も、過剰な利益追求も、怠惰怠慢も根源となる部分はすべて欲であり、一人一人が制御しなくては社会が成立しないんです。

そう、お金は先述した物差しという役割を持ち、同時に私達の欲望を制御するための装置の役割も果たしているわけです。

このように書くと、欲望を過剰に嫌う人が出てきますが、欲とは決して悪いものではありません。

欲自体は幸福の源でもあります。

欲を満たせば誰しも幸福に包まれるものです。
問題なのは、幸福感を味わい続けたいという欲望をコントロールできない惰弱な理性。

単に欲望を敵とし、徹底的抑え込んだり、無いものとしたりしていては、正しく強靭な理性は得られないでしょう。
無欲は強欲と同じくらい、社会を崩壊させる要因の一つとなる気もします。

 

そして、お金が人間の欲望制御装置であるからこそ、社会の発展に指向性をつけることができます。

社会の発展となると、それは個人の欲望というより、人間の行動に指向性を与えることといった方が正しいでしょうかね。

人は他の動物と比較すると、個々人で欲望の質が大きく異なります。

欲望の質とは好みと言い換えてもいいでしょう。

音楽、歌、踊り、絵、景色、味、匂い、学問など原初的なものから理性的なものまで正に十人十色の好みがあるのがヒトという生物の大きな特徴です。

この好みに向かう個々人の行動と、お金というもので一定の指向性を与え、社会発展における必要なものに注力させる。

これがお金の持つ本来の役割なのではないでしょうか。

最後に総括を

お金のいらない国は果たして実現可能なのか。

この本を読み終わってからなおも考えていることですが、
正直、自信のある答えに辿り着くことはできませんでした。

ただ、私の答えは”No"です。

確かにお金のいらない国が実現可能となれば、今よりもゆとりと豊かさをもって生きていくことが可能であると思います。
仕事も純粋に他人のためにやるため、仕事のやりがいというのも大きくなるでしょう。

ですが、人間は何らかのメリットがなくては組織というものを作れない生き物なのではないかと私は考えています。

それは多様な価値観をもつ生物であるからこその宿命のようなものではないでしょうか。


お金は欲望の制御装置。
私はこのような見方でお金を見たことがなかったので、衝撃的な台詞でした。

なにせ、今やお金が制御装置としての役割を失いつつあるからです。

富める者はより富むために貧しい者を安く使う、このような図式になりつつあります。

それは弱肉強食の世界とあまり違いはありません。

弱者を食らうための檻。
それが社会と成り果てればいずれは国が瓦解するでしょう。

COVID-19で経済が甚大な打撃を受けた今だからこそ、経済とは、お金とは何かを考えるべき岐路に立っていると思います。


ではでーは。

 

 

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